時は金なり、人生はサーカスなり

医療職だったライター、副業で生きてる 徒然なる本音をずらり

適応障害日記 ー出来損ないの自分ー

 

 

こんにちは、白嶋です。

 

適応障害になった頃、毎日泣いていました。
泣いている理由は、聞かれてもよくわかりませんでした。

頭が上手く働いてくれない感覚。今まで何ともなかった思考回路が、すごくゆっくりと、迂回しながら手探りで、何とかして応えようと必死だったことはわかりました。

 

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今思えば、悲しかったのは「生活」そのもの。

「しなきゃ」という強迫観念。

 

 

それでも回っていく世界の中で

どれだけ悲しくても、体は生きるためにお水を欲しますし、ご飯も食べなければいけません。
職場に提出するものがあったり、日用品に足りないものがあれば買いに出かけたり。

その時、辛かったのは「世界はそれでも回っている」ということ。

 

家の近くのコンビニに行きました。
普段なら何気なく買い物をして、何気なく帰ってくる道。

でも、まったく風景や感じ方が違うんですよね。

 

家を出る昼の2時頃。

すれ違う犬の散歩をしている人は、きっと今日仕事が休みなんだろう。
あの車に乗っている男性は営業の帰りかな。
コンビニの店員さんだってこんなに頑張っているのに。
宅配を頼めば、「宅配の仕事」をしている人がやってくる。

 

みんなの目に、私がどう映っているかなんて、前までは知ったこっちゃない出来事だったのに。
顔を俯いて生活することが多くなりました。


私以外の人間はみんなまともに生活している、まともに働いている、まともに役割を果たしている。

そんな気持ちに苛まれて、ふさぎ込むが多かったです。

 

 

自己肯定感は地の底へ

私は以前まで、きっと自己肯定感の強い人間でした。
考え方としては、「自分を大切に思えない人が、誰かを大切になんてできるはずがない」

その考え方が、自分の首を絞めることも知らずに、そう信じて疑いませんでした。

 

働くことができない。まともに誰かと会話することにも時間がかかる。理由もないのに涙が出てくる。

自分のすべてに嫌気がさしている時、恋人が言いました。
「何もできていなくないよ、ご飯を食べているし、毎日お疲れ様って連絡をくれるし、いてくれるだけで嬉しい気持ちにさせてくれるよ」と。

 

その時は、そんなの恋人としてかけなきゃいけない言葉を並べただけじゃないか、と思っていました(;´Д`)笑

斜に構えすぎだったなぁと反省しています。

 

今思えば、そんな風に少しのことで自分を褒めてあげられたらよかったんですよね。
だって自分の一番の役割は、仕事に復帰することではなくて、「今より症状が良くなること」だったんです。

ただ、その時は本当に難しくて、今も前によりはずっと自己肯定感が低いまま生きています。
きっと、ハツラツと働けていたときの自分が忘れられないんでしょうね( ;∀;)

 

 

今は、出来損ないの自分と二人三脚

まだまだ完全に良くなっているわけではない症状と、今も付き合い続けています。

よく本屋さんには、「こうしたら鬱が治った!」などという本がありますが、私はもしかしたら一生付き合っていくものなのかもしれない、と思っています。

 

なんとなくですが、治る気配がしないのです(笑)
以前よりはずっと楽観的に生きることができるようになりましたが、どこかで自分を認めてあげることができていない部分があるのも確かです。

だから、私は決めました。

 

もともと周りからしっかり者だと言われていた自分と、新しく仲間入りした出来損ないの自分、二人三脚でやっていこう!

自分を肯定してあげられる材料を探して。
自分を今よりも好きになってあげられる状態を目指して。

 

 

私は、適応障害になった自分を「甘えている」と呼びました
でも今思うと、可哀想な言葉を投げかけていたんだな、と思います。

だって、進んで適応障害に名乗り出たわけではありません。進んで症状に思い悩む日々を手に入れたわけではありません。

 

だから、「少し頑張りすぎちゃったから、人生の10分休みを取ろう」と思うようになりました。
まだまだ長い人生の中で、こんな風に座り込んで休んだ時もあったね、と言えるように。

 

 

出来損ないの自分だって、愛されないために生まれてきたわけじゃない

そう思うと、少しでも早く元気になりたい。そして自分にとってベストな道を選びたい、と考えるようになりました(。-∀-)

 

では、閲覧ありがとうございました!